道徳哲学史講義 序論 「近代道徳哲学」
—— 1600年から1800年まで
道徳哲学史講義
第1節 「古典道徳哲学と近代道徳哲学」
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1
1-1
古典道徳哲学と近代道徳哲学とのあいだにある明確な相違から話を始めよう。
古典道徳哲学ということで、私は、古代ギリシアの道徳哲学のことを言おうとしている。すなわち、主としてアテナイの道徳哲学、あるいは、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、エピクロス学派、ストア学派の哲学者のような、そこに暮らした哲学者たちの道徳哲学のことである
紀元前500年(紀元前5世紀) ~ 紀元0年(紀元前1世紀) まで
近代道徳哲学ということで、私は、1600年から1800年までの道徳哲学のことを言おうとしているが、しかしわたしたちは、たとえばモンテーニュのような16世紀の著者もそこに含まなければならない。彼らはのちの時代では有力人物だったからである。
1-2
シジウィックは『倫理学の方法』第1巻のなかで善( good )の概念へと話を移すとき、自分はこれまで正しさ( rightness )を論じてきたのだと述べる。彼の言うところ、正しさというものは、英国の著者がしばしば用いる概念である。彼はそれまで、この概念とそれに同等の語句とを、理性の指図なり命法なりをほのめかすものとしてあつかってきた。〔そのさい〕理性は、ある一定の行為を無条件的に指令するか、さもなければ、向こう側にある何かの目的へと言及しつつ指令するか、とみなされる。
だが、道徳的理想というものはこれを、理性の指図なり命法なりとみなすのではなく、むしろ、魅力あるもの、追求されるべき一個の理想的善を特定化するものとみなすことも可能なのである、とシジウィックは言う。有徳な行為、もしくは、行為における正しさは、命令的な理性の指図とみなされるのではない。むしろそれは、たんに、向こう側にある何かの善のための手段としてのみ善いのではない。それ自体として善い何ものか、とみなされる。
1-3
シジウィックは、こういったことが、ギリシアの道徳哲学諸学派のとる基本的な倫理的見解であったと考える。
近代の倫理学論争とは区別されるものとしての古代の倫理学論争の主要な特徴は、行為についての通常の道徳的判断を表すのに、〔正しさのような〕種的概念ではなく、〔善という〕類的概念を用いることのうちに探り出すことができよう。有徳な行為ないし正しい行為は、〔ギリシア人たちによっては〕通常、善の一種にすぎないとみなされている。それゆえ、 …… わたしたちが行ないを組織だてて説明しようと務めるさいの …… 最初の問いは、善のこの種と、その類のそれ以外のものとの関係をいかにして決定するか、ということである。
ヘンリー・シジウィック『倫理学の方法』
(私見:「種」と「類」の別)
「種」のまとまりよりも「類」のまとまりの方が大きい。「種」は「類」に内包される
これはつまり「〔善という〕類的概念」と言ったとき、この「類」には「正しいもの」と「そうではないもの」が含まれる、ということを意味していると考えられる
シジウィックは続けて言う。わたしたちは、近代倫理学の「準法律的な」ないし法律尊重主義的な諸概念を脇へよけ、そして「義務とは何であり、その基礎は何であるのか」、と問うのではなくして、むしろ「人々が善と考える対象のうちのどれが真に善であるか、ないしは最高善であるか」、を問わないうちは、ギリシアの道徳哲学をほとんど理解することができない、と。
あるいは、もうひとつ可能な問い方としては、「わたしたちが徳と呼ぶ善が、〔また、〕わたしたちが推奨し称賛する行ないや性格の諸性質が、他の善い諸事物にたいしてもつ関係はいかなるものであるか」と問うことである。
だが、この問いに解答するためには、当然ながらわたしたちは、さまざまな善の相対的価値を評価するためのなんらかの方法を、〔また、〕それらの善が最高善と関係したり最高善を構成したりする仕方を語るためのなんらかの方法を、必要とする。
2
2-1
古代道徳哲学と近代道徳哲学とのあいだにはこうした相違がある、ということを認めておこう。それゆえ、結論としてわたしたちは次のように言う。
古代人たちは、真の幸福ないし最高善へといたるための最も合理的な方法について問うたのであり、
有徳な行ないと、性格の諸側面としてのさまざまな徳 —— 勇気、節制、知恵、正義といった徳であるが、これらはそれ自体が善である —— とが、その最高善といかに関係するのかを、すなわち手段として関係するのか、それとも構成要素として関係するのか、それとも双方として関係するのかを、探求したのである、と。
他方、近代人たちは主として、あるいは、少なくとも最初は、正しい理性の下す権威ある 指令である、と彼らのみなすものについて、また、理性のそういった指令が生み出す権利、義務、責務について、問うた。
後になってはじめて、彼らの注意は、それらの指令がわたしたちに追求し抱懐することを許す諸善に移った。
2-2
ところで、古代道徳哲学と近代道徳哲学のあいだにこういった相違があると想定することは、かならずうしも、この相違が根の深いものであると想定することではない。それどころか、この相違はまったく根の深いものではなく、むしろ、たんに、道徳的領域をはっきりと確定し秩序づけるために用いる語彙の問題にすぎないのかもしれない。この語彙を決定づけたものは歴史上の偶然の問題であったかもしれず、そうだとすると、さらに吟味することにより、それらの語彙によって表現される諸概念の二つの族は、一方の族で表現しうる道徳的諸観念は何であれ、他方の族によってもまた、表現の自然さでは劣るにせよ、ともかく表現しうる、という意味において等価である、ということが示されるかもしれない。
2-3
しかし、この点は認めるにせよ、歴史的・文化的背景と、その背景のもとでの主要諸問題とを前提とするなら、諸概念の一方の族を用いて他方の族を用いないということにより、わたしたちは、それらの諸問題をある特定の仕方で眺めることへと導かれるかもしれず、そしてそのことがまた、古代道徳哲学と近代道徳哲学とのあいだにある、道徳学説上の実質的相違へとつながるかもしれない。あるいはまた、歴史的脈絡そのものが、一方の族のほうがより適切でふさわしいことを示すかもしれない。
第2節 「ギリシアの道徳哲学の主要問題」
pp.28 -
1
1-1
ギリシア人に関係する主要問題を説明してくれる歴史的・文化的脈絡について、ひとつの推測 —— これを推測以上のものと言うべきではない —— を行うことから始めよう。私がまず注目したいのは、ソクラテスとともに道徳哲学が始まったころ、ギリシア宗教は公的な社会慣行を司り、市民の祭典や公的な祝賀行事を司る市民宗教であった、ということである。
人が、期待される流儀に参加し、礼儀作法を承認していれば、そのかぎり、その人が信じていることの詳細が何であるかはそれほど重要ではなかった。それは、他人が行うことを行ない、社会の信頼に値する一員であるという問題、求められたときはつねにすすんで、善良な市民としての自分の義務 —— 陪審員を勤め、軍艦のなかで舵を漕ぐこと —— を実行する心構えがあるという問題であった。
それは、キリスト教的な意味での救済の宗教ではなかったし、また、恩寵という必要な手段を執りもつ僧侶階級も存在しなかった。それどころか、不死や永遠の救済という観念が、古典文化のなかでは重要な役割を担わなかった。
1-2
さらにこの市民宗教の文化は、聖書やコーランや、ヒンズー教のベーダのような神聖な著書に基づいていなかった。ギリシア人はホメーロスをほめたたえ、またホメーロスの詩が彼らの教育の基礎的な部分ではあったが、しかし『イーリアス』や『オデュッセイア』はけっして聖典ではなかった。ギリシア道徳哲学はホメーロスを批判し、英雄的戦士というホメーロス的理想や、初期の時代を支配し、依然広範な影響力をもっていた封建貴族という理想を否定した。
1-3
たしかに古典的世界では、無宗教の者や無神論者は、市民としての敬虔さ公然と拒否してみせるときには恐れられ、危険視された。これはギリシア人が、そういった行ないは、彼らが信用できる人物ではなく、当てにできる頼もしい市民としての友人ではないことを示すものだと考えたからであった。
神々を物笑いの種にするような人々は拒絶を招いたが、しかしこれは、彼らの不信仰そのものの問題というよりも、むしろ、共有される市民的慣行にたいする彼らのあからさまな反抗的態度の問題であった。
1-4
このことを理解するために、ギリシアのポリスはわたしたちの基準に照らせば、非常に小規模で完全に同質的な社会であった、ということを心にとどめよう。たとえばアテナイは、婦女子、子供、異邦人、奴隷を含む、約30万の人口を擁していた。民会に参加して政治的権力を行使できる者 —— すべて、許可された市区に生まれた成人男子であるが —— の数は、ほぼ3万5千であった。ポリスの市民宗教は、社会の結束と関係を維持するためにポリスが設けた装置の不可欠の一部であった
2
2-1
こうしてギリシアの道徳哲学は、ポリスの市民宗教という歴史的・文化的脈絡の内部で始まるのであり、そこではホメーロスの叙事詩が、その神々、英雄たちとともに中心的役割を演じている。この宗教には、神々や英雄たちの最高善の観念と対比しうるような、代替的な最高善の観念は含まれていない。
したがって、ギリシア哲学は、ホメーロス的理想を、過ぎし日の生活様式を特徴づけるものとして退けつつも、市民宗教のなかには手本を見いださなかったとき、人生の最高善の考え方を、すなわち、5世紀のアテナイという異なる社会にふさわしい考え方を、みずから練り上げねばならなかった。
それゆえ、最高善についての考え方が、ごく自然なこととして、ギリシア人の道徳哲学の中心に位置している。それは、市民宗教が大部分解答せずに放置していた問題と取り組んでいる。
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したがって、ギリシア哲学は、ホメーロス的理想を、過ぎし日の生活様式を特徴づけるものとして退けつつも、市民宗教のなかには手本を見いださなかったとき、人生の最高善についての考え方を、すなわち、5世紀のアテナイという異なる社会にふさわしい考え方を、みずから練り上げねばならなかった。それゆえ、最高善についての考え方が、ごく自然なこととして、ギリシア人の道徳哲学の中心に位置している。それは、市民宗教が大部分解答せずに放置していた問題と取り組んでいる。
3
3-1
結論を言おう。ただし時間の都合上、ギリシア人の哲学的な意味での道徳的見解についての議論はできないので、一般的な点を二三述べるだけである。
彼らは最高善という考え方に関心を集中させたが、それは、魅力ある理想としての、わたしたちの真の幸福の、理にかなう仕方での追求としての、最高善である。
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彼らはおもに、個人にとってのひとつの善であるとして、この善に関心を寄せた。
たとえばアリストテレスは、正しく行為することへと向けられた批判に応じるのに、わたしたちは正義の要求のためにわたしたち自身の善を犠牲にするべきである、と語るのではなく、むしろ、わたしたちは正義の要求を拒否すればわたしたち自身の善を失うことになる、と語っている。
ソクラテスとプラトンによるアプローチもこれに似たものである。
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さらにまた、彼らは有徳な行ない(徳)を、善き生における諸善(善)と一緒に置かれるべき一種の善であるとみなし、そして、理にかなう仕方でこの行ないを為しうる方法を判定するための基礎として役立つような、最高善の概念を探し求めた。
(私見:「徳」と「善」の違い)
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最後の点として、道徳哲学はつねに、自由でかつ規律された、理性の行使だけに尽きていた。それは宗教に基づかず、ましてや啓示には基づかなかった。というのも、市民宗教はそれに匹敵するものを提供しなかったからである。
ギリシアの道徳哲学は、5世紀のアテナイの社会と文化にとって、ホメーロス時代の道徳的理想よりももっとふさわしい道徳的理想を追求するにあたり、最初から多少とも独力で進んだ。
紀元5世紀のアテナイ
紀元前5世紀のホメーロス時代
(私見:この二つの時代の間に横たわる千年という時間の長さ)
第3節 「近代道徳哲学の背景」
概要
(16世紀から17世紀まで)
(ロールズがここで「近代」としている1600年から1800年の、その前に先立つ時代、について述べている)
1
先の場合と同様、歴史的・文化的脈絡から話を始めよう。私は三つの主要な歴史的発展が近代期における道徳哲学の本性を説明してくれると思う。
1. 16世紀の宗教改革
第一に、16世紀の宗教改革があり、それが近代世界形成の基礎をなす。
宗教改革は、中世の宗教的統一を崩壊させて宗教的多元主義へと導き、のちの諸世紀にあらゆる結果をもたらした。これがまた、さらに他のさまざまな種類の多元主義を助長したが、それらの多元主義は、18世紀終盤にいたるまでに、現代の生活の基本的で永続的な特徴をなした。
ヘーゲルも認めたとおり、多元主義は宗教的自由を可能にしたが、しかし、あきらかにそれはルターとカルヴァンの意図するところではなかった。
(ヘーゲル『法の哲学』第270節 補遺《国家と宗教》 を見よ)
岩波文庫 『法の哲学』下巻 pp.233ff.
2. 近代国家の発展
第二に、中央の行政機構を備えた近代国家の発展がある。
近代国家は、当初はその高度に中央集権化された形態において、巨大な権力をもつ君主たちによって統治された。彼らは可能なかぎり絶対的であろうと努め、権力の分け前を貴族や新興中産階級に与えることはただやむを得ない場合にかぎって、あるいはみずからの便宜にかなうものとしてのみ、行った。
国家の発展は、ヨーロッパのさまざまな国において、異なる仕方と異なる速度で起こった。中央国家は、イギリス、フランス、スペインでは16世紀終盤までには十分に樹立されたが、しかし、ドイツとイタリアでは19世紀まではそうでなかった。
(プロイセンとオーストリアは間違いなく、18世紀までには強大な国家になっており、どちらがドイツを統一するかをめぐって競合するが、この問題はビスマルクにより、1870年までに最終的に解決された)
3. 17世紀に始まる近代科学の発展
最後に、17世紀に始まる近代科学の発展がある。
(もちろん重要なルーツはギリシア思想、イスラム思想にある)
近代科学ということで、私はコペルニクス、ケブラーによる天文学の成果や、ニュートン物理学のことを言おうとしているが、また、強調すべき点として、ニュートンとライプニッツによる数学的分析(演算)の成果のことも言おうとしている。もし分析がなかったとしたら、物理学の発展はありえなかったであろう。数学の進歩と物理学の進歩とは相伴うものである。
2
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宗教に関連して古典的世界との対照に目を向けてみよう。中世キリスト教には、ギリシアの市民宗教に欠けていた5つの重要な特徴がある
1. 権威的宗教
それは権威的宗教であり、そしてその権威は、中央の、絶対的ともいえる教皇職を抱えたところの、制度化されたものであった。もっとも、14世紀、15世紀の宗教会議の時期におけるように、ときとしてその教皇職の正当性が疑問視されることもあった
2. 救済の宗教
それは救済の宗教であり、永遠の生命へといたる途であり、そして救済のためには、教会が教える形での真の信仰が必要であった。
3. 教義宗教
したがってそれは、信仰されるべき教義をもった教義宗教であった。
4. 恩寵をともなう司祭の宗教
それは、恩寵という手段を分かち与える独占的な権限をもった司祭の宗教であり、そして司祭それ自身も、通常は救済にとってなくてはならないものであった。
5. 拡張主義的宗教
最後に、それは拡張主義的宗教、すなわち、みずからの権威に、全世界に届かないような領域的限界をいっさい認めない改心(回心)の宗教である。
こうして、古典的道徳哲学とは対照的に、中世の教会の道徳哲学は、自由で、かつ規律された理性だけを行使したことによる成果ではなかった。このことは、その道徳哲学が正しくないという意味でもなければ、理にかなっていないという意味でもない。そうではなく、それが教会の権威に従属していたということ、そして道徳神学を求める教会の実際的な要望を満たすべく、主として聖職者と教会の命令とによって実践されたということである。
2-2
さらに、協会の教義では、わたしたちの道徳的義務や道徳的責務は神の法に基づくものと見られていた。
それらは、わたしたち全員を創造し、どの瞬間にもわたしたちの存在を維持する神によって、また私たちが絶え間なく責務を負う神によって、制定された法の帰結である。
したがって、もしもわたしたちが、アクィナスがそうしたように、神を最高に理にかなったものとみなすとしたら、それらの法は神の理性の支持ないし指令である。
わたしたちの義務や責務を特定化する理性の指示ないし命法、とい考え方が近代の道徳哲学に入ってくるのは、まさにキリスト教からである。
もう一つ可能な見方として、もしわたしたちがスコトゥスやオッカムのように主意主義的な見方をとるとしたら、それらの指示は神の意志の指示であることになる。
わたしたちはこういった諸見解のどれかを、スアレス、ベラルミン、モリーナ、その他のスコラ学者のなかだけでなく、グロティウス、プーフェンドルフ、ロックといったプロテスタントの著者のなかにも見出す。
2-3
こうして、責務の概念は17世紀には、自然法ないし神の法という考え方に基づくものである、として広く理解された
この法は神がわたしたちに向けたものであり、そして神は、わたしたちの創造主としてわたしたちにたいして正当な権威をもっている。その法は神の理性の指示であるか、それとも神の意志の指示であり、いずれの場合でもそれは、制裁の威嚇のもとに、それに従うようわたしたちを指図する。そしてその法は、いずれはわたしたちや人間の社会にとって善となることのみを命じるものの、
しかし、わたしたちがみずからの責務を遂行するとは、わたしたちの善のためになるとしてその指示に基づいて行為することにあるのではなく、むしろ、神によって課せられたものとして神の権威に服従しつつその指示に基づいて行為することにある。
(たとえば、ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第28章第4節~第15節を見よ)
3
3-1
宗教改革は計り知れないほどの結果をもたらした。
この点を理解するには、わたしたちは、中世キリスト教のような権威的、救済主義的、拡張主義的な宗教が解体してばらばらになる、とはいかなることであるか、と問うてみなければならない。
当然ながらこれは、同一社会の内部に、競合するいくつかの権威的、救済主義的、拡張主義的な宗教が出現する、ということを意味する。それらの宗教は、そこから分かれたもとの宗教といくつかの点で異なってはいたが、しかし、ある一定期間、同じ諸特徴を数多く共有していた。ルターとカルヴァンは、それまで教会がそうであったのに劣らず、教条主義的で不寛容であった。
プロテスタントになるべきか、それともカトリックのままでいるべきかを決断せねばならない者にとって、それは恐ろしい時代であった。というのも、ひとたびもとの宗教が解体してばらばらになると、どちらの宗教が救済へと通ずるのかは疑わしくなるからである。
3-2
私は、〔道徳哲学よりも〕政治哲学のほうにいっそう関係するからという理由により、リベラリズムのひとつの歴史的淵源である、寛容をめぐる論争については触れず、また、そのもうひとつの淵源である、民族国家の主権にたいして憲法上の制限を設ける努力についても触れずに置いた。
しかしこれらは、この時期の道徳哲学の大きな部分の背景に横たわるものとして認めねばならない係争問題である。宗教改革は宗教戦争という深刻な闘争を生んだが、これはギリシア人がかつて経験したことのないものであった。
それが提起した問題は、いかに生きるべきかというギリシア人の問題に尽きるものではなく、むしろ、どうすれば異なる権威的、救済主義的宗教を信ずる人々とともに暮らしてゆけるのか、という問題であった。それは新たな問題であって、そういった条件下ではそもそも人間社会はいかにして可能であるか、という問題を深刻な形で提起した。
第4節 「近代道徳哲学の諸問題」
1
1-1
わたしたちの時代の道徳哲学も、ギリシアの道徳哲学と同様に、それがそのなかで発展した宗教的、文化的状況からの深い影響を受けていると思う。
今回の場合は、宗教改革に続く状況からの影響である。18世紀にいたるまでには指導的な著者の多くが、道徳的認識の、教会の権威からは独立した基礎を、思慮分別と良心をもった普通の人にとって利用可能な基礎を、打ち立てることを望んでいた。これを行ってしまうと、彼らは、自立と責任を特徴づけるのに用いるべき十分な範囲の諸概念、諸原理を展開しようと考えた(注釈 2)。
(注釈 2)
私がプロテスタンティズムを強調するわけは、主な著者のほぼ全員がプロテスタントだからである。
自然法論の展開における指導的な著者たち —— グロティウス、プーフェンドルフ、ホッブズ、ロック —— もプロテスタントである。
ライプニッツの場合だけを別にして、ヴォルフとクルージウス、カントとヘーゲルというドイツの系列も同様である。クルージウスとカントは敬虔主義者であるし、またヘーゲルは、間違いなく非常に非正統的ではあるものの、ルター派であることを公言している。
英国の、道徳感覚学派に属する著者たち —— シャフツベリー、バトラー、ハチソン —— も、理性主義的直観主義に属する著者たち —— クラーク、プライス、リード —— と同様に、英国宗教改革に照らしてみて、(少なくとも彼らの教育においては)プロテスタントであると予想される。
もちろん、カトリック教会のなかで行われる道徳哲学というものもつねに存在するが、しかし、この時代ではそれは、学問的素養のある聖職者 —— たとえば、スアレス( Surarez )、ベラルミン( Bellarmine )、モリーナ( Molina ) —— によって行われたのであり、また決疑論の形式をとっていて、結局のところは聴罪師や助言者である他の司祭へと向けられた。
聴罪師(ちょうざいし)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%81%B4%E7%BD%AA%E5%B8%AB-97833
confessarius
カトリック教会の制度で,正しくは聴罪司祭。所属教区司教より聴罪の認許を得た司祭。普通には修道院,学校,病院などに多少恒常的に任命された司祭をさす場合が多い。告解の秘跡の際,信徒の告白を聞き,教導し,償いの善業 (主として定められた祈り) を与える。修道者のためには常任のほか特任聴罪司祭をおく。プロテスタントにこの制度はない。
これは非常に実際的な職務ではあるが、しかし、俗人への教義教育の一部であった点を除けば俗人へと向けられたものではない。
1-2
詳しく述べよう。
すでに見たとおり、一方には、神の啓示がないかぎりわたしたちには、わたしたちが従うべきであって、かつ、わたしたちの義務と責務を特定化してくれるような正と不正の諸原理を知ることができない、という教会の伝統的見解がある。それらの諸原理は、わたしたちの一部の者には知ることができても全員が知りうるわけではなく、あるいは全員が、それの個々の場合での帰結を心にとどめておけるわけではない。それゆえ、多数者は少数者(これは聖職者かもしれない)によって教示され、、刑罰の威嚇によって従うようにされなければならない。
また他方には、すべての信仰者を司祭であると考え、神と信者とのあいだに介在する聖職者の権威を否定するプロテスタンティズムの過激な一派と、よりいっそう相性のよい見解がある。その見解では、道徳の諸原理、諸教訓というものは、普通の思慮分別ある人々一般にとって到達可能なものであり —— この点は、さまざまな学派によってさまざまに説明される —— 、しがたってわたしたちは、わたしたちの道徳的義務と責務を知ることが十分でき、また、それを遂行することへと動機づけられることも十分にできる、とされる。
2
2-1
前の段落で述べた対比のなかでは、三つの問いを区別することができよう。
1.
第一の問い。
a) わたしたちの要求される道徳的秩序は外的源泉から引き出されるのであろうか、
b) それとも、なんらかの仕方で、人間本性そのもの(理性や気持ちとしての、あるいはその双方としての、人間本性)から、および、わたしたちが社会のなかで共生することの諸要件から、生ずるのであろうか。
2.
第二の問い。
a) わたしたちが行為すべき仕方に関する知識なり自覚なりは、ある一部の者にとってのみ、ないし少数者(たとえば聖職者)にとってのみ、直接的に到達可能なのであろうか、
b) それともそれは、普通に思慮分別と良心をもったどの人にとっても到達可能なのであろうか。
3.
第三の問い。
a) わたしたちはなんらかの外的動機づけによって、道徳の諸要求にみずからを従わせるべく説得されたり強要されたりせねばならないのであろうか、
b) それともわたしたちは、わたしたちの組成からして、外的な誘引を必要とせずして、為すべき仕方で行為することへとわたしたちを導く十分な動機をみずからの本性のうちにもっているのであろうか。
2-2
もちろん、私がここで用いている用語はあいまいでも多義的でもある。「外的な動機づけ」、「人間本性そのもの」、「普通に思慮分別と良心をもった人]」等の用語で何が意味されているのかは鮮明ではない。これらの用語は、近代の内部で発展する道徳哲学のさまざまな伝統が、これらを解釈したり否定したりするそれぞれの仕方に応じて、その意味を獲得する。この点は、いずれわたしたちが個々のテキストを吟味するなかで見ることになるであろう
2-3
ここで私は、道徳哲学の伝統それ自体は、自然法の伝統や、道徳感覚学派諸学派の伝統や、理性主義的直観主義諸学派の伝統や、功利主義の伝統といった諸伝統からなるひとつの族である、と考えることにする。
これらの伝統のすべてを、一個の包括的な伝統の部分とするものは、それらが、ある共通に了解された語彙と用語法を用いている、ということにある。
さらにまた、それらの伝統は、たがいの見解と議論とに応答し合い、順応し合っており、そのため、それらのあいだでの交換が、部分的には、さらなる発展へとつながる筋の通った議論になっている。
3
3-1
上の3つの問いを眺めるとき、この時期の著者たちが、事実として何が正・不正であり、善・悪であるかに関して、多少とも合意し合っている、ということに気づかなければならない。彼らは、道徳の内実をめぐって、権利、義務、責務、等の、道徳の第一諸原理が実際のところは何であるかをめぐって、意見を異にしているのではない。
彼らのなかには、所有権が尊重されるべきであることを疑う者はなかった。彼らはみな、約束と契約にたいする誠実という徳を、正直、善行、慈悲、その他多数の徳を、肯定した。
彼らにとっての問題は道徳性の内実ではなく、それの基礎であった。すなわち、わたしたちはいかにして、その基礎を知りえ、その基礎に基づいて行為することへと動かされるのであるか、と。個々の道徳的問いは、これらの事柄に光明を投じるために吟味される。
シャフツベリー、バトラー、ハチソンの道徳感覚学派はある解答を与え、クラーク、プライス、リードという理性主義的直観主義者は別の解答を与え、ライプニッツとクルージウスはさらに別の解答を与えた。
3-2
上記3つの問いにもう一度言及すると、ヒュームとカントはともに、それぞれ異なった仕方で、いずれの問いの場合でも2番目( b )の選択肢を肯定する。すなわち、
彼らは、道徳的秩序はなんらかの仕方で、人間本性そのものと、わたしたちが社会のなかで共生することの諸要件とから生ずる、と考える。
彼らはまた、わたしたちが行為すべき仕方に関する知識や自覚は、普通に思慮分別と良心をもったすべての人にとって直接的に到達可能である、とも考える。
そして最後に、彼らは、わたしたちはわたしたちの組成からして、外的な制裁を必要とせずして、少なくとも、授かる報奨や、神または国家によって科せられる刑罰という形での外的制裁は必要とせずして、為すべき仕方で行為することへとわたしたちを導く十分な動機をみずからの本性のうちにもっている、と考える。
それどころか、ヒュームとカントはともに、少数者だけが道徳的知識をもちうるのであって、すべての人々、もしくは大部分の人々は、そういった制裁の手段によって正しいことをさせられなければならない、という見解からは、それ以上は隔たりえないと言えるほどに遠く隔たっている。
第5節 「宗教と科学の関係」
概要
(スピノザ、ライプニッツ、そしてヒュームの)宗教と科学の関係
1
1-1
わたしたちが研究対象とする著者たちはそれぞれ(彼ら自身の仕方で)、近代科学と、キリスト教および一般に認められた道徳的信念との関係に多大な関心を寄せている。もちろん、ここでは近代科学とは、すでに述べたようにニュートン物理学の意味である。問題は、コペルニクスやガリレオの発見、ニュートンやホイヘンスやその他の人々の発見が、宗教および道徳との関係でいかに解されるべきか、ということであった。
1-2
スピノザとライプニッツとカントは、この問題に異なる仕方で解答しているが、しかし彼らは共通の問題に取り組んでいる。
(スピノザ)
いくつかの点において、この三者のうちではスピノザのやり方が最も急進的である。すなわち彼の汎神論はんしんろんは、新しい科学的・決定論的世界観を取り入れつつ、しかも、宗教的教義(といっても異端的なものであるが)の重要な諸要素を保持してもいる。彼の見解は、ライプニッツもカントも認めることのできないものであって、彼らは、当時はいかなる犠牲を払っても回避されるべき代物であった、いわゆるスピノザ主義に陥らないように警戒している。
(似たようなこととして、17世紀末期には、ホッブズ主義に陥るということが、同様にして回避されるべきことであった。)
ライプニッツはとりわけこの点を気にかけていたが、しかし、一部に、彼はスピノザ主義の回避に成功しておらず、彼の見解のなかには根深いスピノザ主義的諸要素がある、と考える人もいる
1-3
(ライプニッツ)
わたしたちの研究対象である著者のなかでは、ライプニッツが、保守主義者という言葉の最良の意味において最も偉大な保守主義者である。
すなわち、彼は正統派キリスト教とその道徳的見解を完全に認めながら、彼の時代の新しい科学と対決してこれに習熟し —— それどころかこれに寄与もしている —— 、この科学を彼の哲学的神学のなかで用いている。彼は13世紀にアクィナスがそうであったのと同じ意味で偉大な保守主義者である。
アクィナスは新しいアリストテレス主義と対決し、そしてキリスト教神学の彼による言い換えであり壮大な『神学大全』のなかで、それを彼自身の目標と目的のために用いた。
同様にライプニッツは、近代科学を伝統的な哲学的神学のなかへと取り入れ、そしてこの拡大され、修正された体系のなかで、未解決のすべての問題を解決しようと試みている。たとえば、彼は真理の定義のなかで、必然的真理と偶然的真理との区別のなかで、自由意志と予見的知識に関する説のなかで、『弁神論』における神の正義の用語のなかで、新しい科学を用いている。
わたしたちの観点からすれば、ライプニッツの道徳哲学 —— 私があとで用いる呼び方では、彼の形而上学的完全性主義 —— は、彼のそれ以外の哲学ほどには独創的ではないが、しかしそれでも、それは重要な学説を、ヒュームやカントの学説とは対照的にとりわけ啓発的な学説を表現している。
2
(ヒューム)
2-1
ヒュームだけは、わたしたちの研究対象である著者たち近代科学と宗教の関係に関心を抱いているという考え方の例外と見えるかもしれない
ところで、彼はたしかに
宗教の神なしに完全にうまくやっていこうとする点において異なっている。ヒュームは自然の創造者の存在を信じているが、彼の創造者はキリスト教の神ではなく、祈りや崇拝の対象ではない。
これにたいして、スピノザはみずからの見解を汎神論として描いた —— これはキリスト教およびユダヤ教の正統派とは著しく異なるものの、間違いなく一個の宗教的見解である—— 。しかしヒュームは、宗教的神をまったくなしで済ませ、しかも、悲嘆も喪失感ももたずにそうする。宗教をまったく必要としないというのがヒュームの特徴である。
さらに彼は、宗教的信条は益になるよりも害になること、つまり、哲学にたいして堕落させる影響を与え、人間の道徳的性格にたいしては悪影響を与えると、考える。哲学の優れた効用は、わたしたちの感情を和らげることに資し、自然な性癖の成り行きを乱すような度を越した意見にわたしたちと陥らせないことに資する、ということにある。彼は次のようにいう
「一般的に言って、宗教における過ちは危険であるが、哲学における過ちはただ滑稽なだけである。」(T:277)
(『人間本性論』第1巻 最終節 末尾付近)
2-2
『道徳原理探求』のなかで、ヒュームは、キリスト教的諸徳についてのとりわけ手厳しい一節を置いている。彼はつぎのように論じている。
わたしたち、または他人にとって、有用であるか、それとも快適であるような、どの性質も、わたしたちの普通の生活では、個人の長所の一部、すぐれた性格の一部であると、認められる。わたしたちが、「自然で偏見のない理性によって、迷信や誤った宗教の欺瞞的な虚飾を離れて事物を判断する」ときは、これら以外のいかなる性質も有徳であるとは承認されないであろう。
ついで彼は、彼のいわゆる「僧侶の徳を、すなわち、 …… 独身、断食、苦行、禁欲、自制、謙遜、〔および〕孤独」を列挙する。これらは分別ある人によって否定されるが、その理由は、彼が言うには、これらがいかなる目的にも資しないからである。それらは、世の中で誰の運を上げるわけでもなければ、わたしたちをよりいっそう優れた成員にするわけでもない。それらは、わたしたちを他人と一緒にいてより愉快な者とするものでもなければ、自分自身を楽しむわたしたちの能力を増大させるのでもない。僧侶の徳とは、実際には悪徳である。
ついで彼はつぎのように結論する。「陰気臭く、気のふれた狂信者は、その死後に聖人列伝に並ぶかもしれないが、しかし生存中は、親密になったり交際したりすることをほとんど許されず、ただ、その者と同じほど錯乱して陰鬱な者だけがそれを許すであろう」(E:Ⅱ:270)
(『道徳原理探求』)
2-3
ヒュームの見解は(伝統的な意味では)完全に非宗教的なものに映るが、他方、彼自身も自分の見解の非宗教的性格についてはつねに意識している、と私は言いたい。
カルヴァン主義のスコットランドにあって、彼はほとんどそうあるよりほかなかった。彼は、自分が周囲の文化に反抗していることを十分に自覚している。
この意味で彼の見解は故意に世俗的であろうとするものである。カルヴァン主義の低地地方の上流家庭に育ちながらも、彼は若くして(20歳ほどであろうか)、そのなかで教育された宗教を捨ててしまった。これがその時代の問題にたいするひとつの解決なのである。
3
(ヒューム)
3-1
これまでに私が述べてきたことの傍証として、今日わたしたちは、多元主義的な民主主義社会における根深い不和と意見の著しい多様性とに照らして、しばしば道徳哲学の諸考察が必要であることを痛感する、ということに注意しよう。
わたしたちの不和は政治の領域にも及ぶが、そこでわたしたちは、わたしたち全員に影響する立法に関して意思表示をしなければならない。わたしたちの課題は、たがいに共有する理解のなんらかの公共的な基礎を見つけてこれを詳述することにある。
しかし、ヒュームによる問題の捉え方はこうではない。
(ついでに、カントによる捉え方もこうではない)
3-2
道徳におけるヒュームの懐疑論は、彼が人類の道徳的判断の多様性に心打たれたことから生ずるのではない。すでに示したとおり、彼の考え方では、人々はその道徳的判断において多少とも自然な形で意見を一致させており、性格の同じ諸特性を徳・悪徳とみなしている。
むしろ、意見の相違へと導くものは、政治権力の腐敗であることはもとより、宗教や迷信といった狂信でもある、というわけである。
さらにまた、ヒュームの道徳的懐疑論は、道徳的判断と科学の判断とのあいだにあるとされる対照に基づいているものでもない。彼の見解は、科学は合理的であって健全な証拠に基づき、他方、道徳は非合理的であって(さらには不合理でさえあって)感情や関心の表出にすぎない、とする典型的な近代の見解ではない。
たしかにヒュームは(あとで論じるように)、、道徳的区別が理性には基づかないと考えるし、かの有名な、挑発的で誇張的な所見においては、「理性は情念の奴隷であり、また奴隷でのみあるべきである」(T: 415)と述べている。
(『人間本性論)
しかしヒュームの考えでは、これと似たようなことは科学についても言える。彼の懐疑論は、理性、知性、感覚へと及ぶからである。彼の道徳的懐疑論は、私がのちに、彼の自然信仰主義( fideism of nature )と呼ぶことになるものの一部にすぎない。
fideism
https://en.wiktionary.org/wiki/fideism
The doctrine that faith is the basis of all knowledge
信仰があらゆる知識の基盤であるという教義。
3-3
さて次回に手短に述べるように、
(この序論のあとに「ヒューム講義」が始まることを指す)
ヒュームは、理性や知性はそれらが単独で進み、習慣や想像力によって —— すなわち、わたしたちの本性の恵み深い諸原理によって —— 緩和されないときには自滅する、と考える。
わたしたちには、結果的に生ずる懐疑論にしたがって生活するということはできない。幸いなことに、わたしたちは研究を離れれば、習慣や想像力によって生み出されたわたしたちの自然な信念に基づいて行為せざるを得ない。
〔とは言っても、〕彼がみずからの懐疑的反省を —— すなわち哲学を —— 追求するのは、研究を離れるときでもわたしたちの信念のすべてが元にもどるわけではないからである。
とくに、わたしたちの狂信と迷信(わたしたちの伝統的な宗教的信条)は元に戻ることがなく、そして、わたしたちはそれがゆえに、道徳的な意味でより善良で、より幸福になる。
したがって肝心な点は、道徳的懐疑論をその一部とするヒュームの懐疑論というものは、生活様式の部分としての懐疑論 —— これはヒュームが、伝統的宗教の生活様式との対比で明瞭に理解する生活様式であるが —— という部類に属している、ということである。それゆえヒュームは、ただそのような宗教を放棄するだけでなく、それにとって代わる生活様式をもっているのであり、そしてそのほうはけっして放棄しなかったように見える。それは完全に彼の気質にあっていたようである。
第6節 「科学と宗教に関するカントの見解」
(カント)
1
1-1
したがって、ヒュームはスピノザとともに、近代科学と、伝統的宗教および一般に認められた道徳的信念との関係という問題にたいして、ある急進的な解決法をとっている。
カントは、スピノザの解決法を受け入れることができないのと同様に、ヒュームのそれも受け入れることができない。
しかし、私がたったいまヒュームについて注意した点に関してはカントとヒュームはいくぶん類似している。カントもまた、わたしたちの道徳的諸判断の多様性とそれらの衝突によって心を悩まされてはいない。
彼は、彼のいわゆる「通常の人間理性」( gemeine Menschenvernunft )を、わたしたち全員が共有しており、それが多少とも同じ仕方で判断する、と想定する。たとえ哲学者であっても、普通の人間理性の(道徳的)諸原理とは異なる(道徳的)諸原理をもつことができない。(Gr Ⅰ:20〔415〕, KP 5:404)
Gr 『道徳形而上学の基礎づけ』
KP 『実践理性批判』
1-2
それからまた、ヒュームと同様に、カントの場合も科学と道徳とは同じ水準にある。
もしもヒュームの場合に、科学と道徳がともに、感覚や気持ちの諸形態を含むのであるとすれば、カントの場合には、一方が理論理性で他方が(純粋)実践理性であるというように、それらはともに理性の形態である。
もちろん、これはヒュームの懐疑論に根本から反対するものである。
しかし、肝心な点は、科学を合理的とみなして道徳をそうはみなさない現代の見解 —— たとえば、ウィーン学派の論理実証主義 —— とは対照的に、カントはヒュームと同じく、科学を、道徳的思惟および判断を害するほどまでには高めない、ということである。
もちろん、科学と、伝統的宗教および一般に認められた道徳的信念とを調和させるためのカントの方法は、基本的にヒュームのそれとは対立する。彼による解決の試みは、三批判書のなかに見られ、また道徳哲学上のさまざまな著作のなかで補完されている。
三批判書
第一批判
『純粋理性批判』
第二批判
『実践理性批判』
第三批判
『判断力批判』
私は、本日はその特徴を挙げることはせず、わたしたちが研究することになる、カントの道徳哲学の三つの話題にコメントするだけにしようと思う。
2
2-1
最初にお気づきと思われるが、わたしたちは『基礎づけ』のなかに見られる形の定言命法から話を始めるとはいえ、この短い作品は、わたしたちによるカント研究の三つの部分のうちの一つにすぎない。
カント研究 話題(1)
定言命法
さて『基礎づけ』は間違いなく重要であるが、しかしそれは、カントの道徳学説全体についての十全な説明を与えてはいない。それが実際に提示しているのは、わたしたちの常識的な道徳判断のなかに暗に含まれる「道徳性の概念」を展開することを介した、道徳法則についての適度に十分な分析的説明である。
カントが言っているとおり( Gr Ⅱ:90 )、『基礎づけ』第2章は、第1章と同じく「たんに分析的な」ものである。このことで彼が言おうとするのは、道徳法則は「客観的実在性」を有するということが、すなわち、それはたんなる概念ではなく、現実にわたしたちに適用されえ、かつ実際に適用されるということが、なおも示されなければならない、ということである。
『基礎づけ』第3章では、カントは実際にこのことを示そうとしている。とはいえ私は、カントはのちにその章で試みている種類の論証はこれを断念し、そして第二『批判』(『実践理性批判』)では理性の事実の教説をもってそれに置き換えているのだと思う。つまり、道徳法則が客観的実在性を有することを示すのはまさにこの理性の事実である、というのである。そしてこの事実とは結局のところ何であるか、ということがわたしたちの第二の話題である。
カント研究 話題(2)
理性の事実
2-2
第三の話題は実践的信仰という話題であるが、これはおおよそ以下のように説明できる。
カントはつねに、人間の自己意識という形での人間理性に関心を寄せる。すなわち第一『批判』(『純粋理性批判』)では、所与の対象についての認識を獲得し、自然の秩序を探求するところの人間的主観の自己意識であり、また第二『批判』では、対象の表象に従って対象を産出するべく、熟慮し行為するところの人間的主体の自己意識である。
カントの考えるところ、わたしたちは、道徳法則の内容を分析的に明確にし、かつその客観的実在性を示す、ということに加え、その法則に基づいて行為することと緊密に結びつくある一定の信念を、すなわち、その法則へのわたしたちの帰依を支えるのに必要な信念を、吟味するということもしなければならない。
第二『批判』の諸所では、彼はこれらの信念を要請と呼んでいるが、それには、自由の要請、神の要請、不死の要請という三つのものがある。これらの信念の本性、および、カントはどうしてそれらがわたしたちの道徳的自己意識にとって不可欠であると考えるのか、ということが、わたしたちの第三の話題の一部をなす。
カント研究 話題(3)
信念の要請
2-3
この第三の話題のその他の部分は、「理性の統一性」および、理性の組成における「実践的なものの優位」、という話題である。
カント研究 話題(その他)
理性の統一性
実践的なものの優位
これは、理論的観点と実践的観点とはいかにしてたがいに適合し合うのかと云う問題や、各々の形態の理性による正当な要求はいかにして、理にかなった仕方で(ということは当然、首尾一貫した仕方で、ということであるが)調整されるのかという問題を含む。
カントは、根本においては一つの理性しか存在せず、それがその適用の仕方に応じてさまざまな観念や原則となる、と信ずる。適用の仕方とはすなわち、所与の対象の認識へと適用されるのか、それとも、それらの対象の表象に従った対象の産出へと適用されるのか、ということである( Gr Pref: Ⅱ〔391〕: KP 5:119ff. )。これが、理性の統一性という彼の教説である。
この統一性のひとつの側面が、実践的なものの優位である。すなわち、この統一性を論じることが、哲学とは擁護であるという考え方へとつながる。カントはライプニッツと同様に、科学と実践的信念とを調和させたいと —— すなわち、それぞれを他方から擁護したいと —— 考える。
2-4
それゆえ、ようするに私は、カントの道徳哲学の三つの主要部分を取り扱い、そして、実践理性の観点がいかにして理論理性の観点と結合して、理性全体についての整合的な概念を与えるのか、ということを考察したいわけである。私は、『基礎づけ』だけに極端に精神を集中させることは、これら比較的大きな問題がカントの見解にたいして有する重要性をぼかしてしまうと思う。また、これらの問題についてのわたしたちの研究では、定言命法の正確な詳細はそれほど重要ではない。定言命法の説明は、それがある一定の諸条件を満たすなら、そのかぎりにおいて、理性の事実、理性の統一性、実践的なものの優位の教説を具体化するのに役立つことができ、そしてそのことが、カントの批判哲学全体の中心へとわたしたちを導いてくれる。
第7節 「歴史的文献の研究について」
1
1-1
かりにつぎのようであるとしてみよう。
a)
わたしたちが哲学というものを、多少とも固定した一群の諸問題なり諸疑問なり(これには、時の経過とともに追加があるかもしれない)によって特定化されるものとみなしており、
b)
それらの諸問題がどのような場合にも満足のゆく形で解決されるのかを決定する基準について、わたしたちが意見を同じくしており、
c)
わたしたちが、自分たちはそれら諸問題の解決において、時の経過とともに着実な進歩を遂げつつあると考えている、と。
もしもこうであるとすれば、わたしたちは哲学史においては、むしろほとんど哲学的な関心をもたないであろう。
私が哲学的な関心、ということを言うのは、わたしたちはたしかに、哲学における偉大な人物について知ること自体にも関心をもつことがありうるからである。それは数学者がガウスやリーマンについて知ることに興味をもち、物理学者がニュートンやアインシュタインについて知ることに関心をもつ、というのと同様である。しかしわたしたちは、こういった人物の研究がいま、わたしたちの問題を解決することにおおいに役立ってくれるとは考えないであろう。
もちろん、その可能性はないわけではないが、わたしたちはそれでもなお、哲学というこの主題の進歩をほめたたえ、前進する勇気をみずからに与え、そしてまた、哲学を進歩させた人々に敬意を払うために、その歴史について知ることをやめないであろう。それは、発展していく集団的な企図である哲学を維持し奨励するのには、こうすることが必要不可欠だからである。
とはいえ、こういったことはどれひとつとして、わたしたちの哲学的反省それ自体にとって本質的ではないだろう。
1-2
しかし、先の考え方それ自体が争点となる。すなわち、
a)
哲学は、固定した一群の諸問題によって特定化されるものであり、
かつ、
b)
諸問題が解決された場合を決定するための合意された基準をもつものである、
という考え方であり、また、
c)
進歩が達成され、学説が確立されたということにはある明確な意味が存在する、
という考え方である。
この考え方が争点となる理由のひとつは、たとえ、多少とも固定した一群の哲学的諸問題・諸解答 —— これらはほぼ、その群の主要トピックによって画定されるわけだが —— が存在するとしても、それらの諸問題・諸解答は、著者がその内部でそれらにアプローチする思考の一般的な枠組みがどのようなものであるかによって、異なる特色を帯びるようになる、ということにある。この思考の枠組みが、標準的とされる諸問題にたいする受容可能な解決法に、それ自身の要件を押しつける。
したがって、哲学的思考というものに、今日そうであるように多様な枠組みが存在しているかぎりは、哲学的進歩を判定するための合意された基準は存在しないことになろう。
それゆえ、歴史的文献を研究することの —— そしてまた、著者の全体的な見方の意味を手に入れようとするところの —— ひとつの利点は、哲学的な問題がいかにして、それがその内部から問われるところの思考の枠組みからして、異なる特色を帯びうるのかを、それどころか、その枠組みによって形成されさえしうるのかを、わたしたちが理解できるようになる、ということにある。
そしてそのことが啓発的であるのは、それがさまざまな形態の哲学的思考をわたしたちに開示してくれるからそれ自体で啓発的である、というだけにはとどまらない。それはまた、わたしたちがその内部から今日、わたしたちの問題を問うところの、たぶんまあ潜在化していて明確な表現を得ていないわたしたち自身の思考の枠組みについて、比較対照を通して考察するよう促してくれるのであって、その理由からも啓発的である。
そして、こうして自己を明確化することは、わたしたちはどの問題を真に解決したいのかと、どの問題の解決を理性的に期待できるのかとか、その他多くの事柄をわたしたちが決定すうるのに役立ってくれる。
2
2-1
これらの事柄については、詳細な実例を用いて自分の主張を具体的に示すことなく、ただこのように大雑把に語っていても、気のきいた語り方をするのは困難である。だから、そうはしないでおこう。
先へ進むにしたがい、わたしたちは、著者の背景にある思考の枠組みと、根本にある目的とが、問題に提起されるにいたる仕方に影響するばかりか、人々がそもそものはじめに当の問題に関心を向けるようになる理由にも影響する、ということを多少詳しくみるであろう。私はすでに、ヒューム、ライプニッツ、カントが道徳哲学に関心を向ける理由は、わたしたちがそうする理由とはまったく異なっている、ということを示唆した。しかし、これを説得的に示すということは、詳細へと踏み込むことであり、それはのちに委ねなければならない。
2-2
最後に一点、警告を。
私は、わたしたちが眺める著者の各々について、ある概括的な解釈を提案しようとするであろう。私は最善を尽くしてこれを行うが、しかし、私の解釈が明白に正しいとは一瞬たりとも考えない。きっと他の解釈も可能であるし、そのなかにはほぼ間違いなく、よりいっそうすぐれた解釈も存在する。ただ、それがどういった解釈であるかを私は知らないだけである。
わたしたちの研究する諸作品のすばらしい特徴の一部は、それらがわたしたちに語りかけることのできる仕方が深遠でかつ多様である、ということにある。私は、それらがそのように語りかけることへと干渉するようなことは何もしたくない。
そこで、私があるひとつの解釈を提示する場合、それは、著者の背景にある思考の枠組みを明示するためばかりでなく、あなた方がよりいっそうすぐれた解釈を編み出すよう奨励するためでもある。
つまり、私の解釈よりも、テキストのよりいっそう多くの特徴に感応するような、そして、テキスト全体の意味をよりよく捉えるような解釈である。
〈了〉